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毎日かく整然とかくうそをつかない

2017.1.25.警察官は昇進試験が多いので面接がめっちゃ上手くなる

 生きていれば自分の能力を話す場面は面接でなくともきっと多かろう。コンビニバイトだろうが官僚だろうがバンカーだろうが自分のできることを話さなければならない場面は等しく訪れる。前回の面接において「一番困った人間を挙げ、どのように対処したかを述べよ。」という質問が一番苦慮した。そう言う話が同僚である先輩に回った。そしてその先輩の夫にさらに回っていった。その人物はそこそこしっかりめに警官をやっている。とのことだ。どのくらいのしっかり度合いかといえば、通勤にマッキントッシュフィロソフィーのコートを着るくらいにはしっかり警官をしているらしい。刑事ではないがかつて機動隊方面だったとのことだ。とても羨ましい。本心で尊敬と羨望の眼差しで真っ直ぐ見つめることができるのは、機動隊上がりで都市部で警官をやっている人物くらいではないか。むしろそれ以外は見下して過ごしていても構わないのではないかとさえ思う。その人が言うに、「自分の能力を挙げさせられるとき、自分にとって簡単だった事例をさも苦労したように演出して言うに限る。」ということだった。面接官が元上司だったがため、ウソをつけないという観念が先行しそのような発想に至れなかったのは残念だ。その発想さえあれば楽しげに回答できただろうにと思う。ウソではあるが、完全に虚偽ではないように感じる発想だ。いわば「演出の範疇」というやつなのだろう。「うそをつきたくない」と感じても、うそをつくことでしか会話を盛りたてられない昨今の自分にはリハビリになりそうな発想でもある。禁煙パイポ的発想である。
 自分にとって巨大な事象を解釈して出力するとき、巨大さを無視して始終見渡せる事象をさらに単純化し、手のひらに載せられる程度にして、それをよく観察し、観察によって見えた様々な事実を出力するということか。それは巨大さを無視するという点でいきなり不誠実ではある。まあでもうそをつくよりは良かろう。何より禁煙パイポの代わりなのだから。リハビリ。
 それにしても、現実を見ることができない。どうしても希望的観測によって精神を安定させようとする自動装置が心中にあるらしい。自分はどうやら厳しい現実を直視しながら陽気である人物を目指している。矛盾を感じる存在だそれは。精神を乖離して両立させようってモンに近くはないか。修羅じゃん。
 修羅じゃん。とか言っている場合ではない。修羅じゃん。とか言っているうちに裁きの日は訪れ、自分に噛み付いて毟り取って行くのだ。未来を具体的に想像する必要がある。職を失って東京に行くにはどうすればよいのか、そういうことを細かに想像していく必要があろう。東京の仕事を探す、くらいしか思いつかない。「AがBにになり、Cとなる。」という論理を適用しなければならんのに、漠然とした未来しか想像したくない。疲れたくないし、面倒くさいのだ。怠惰がいつも自分に深手を負わせる。