毎日かく整然とかくうそをつかない

2017.1.29 釘宮理恵さん

 昨日のブログは友人の家でケータイから書いた。彼は彼女と複数年同棲していて、2人で住む家に泊まるのは初めて、だと思ったがちがった。酒に酔って彼の彼女に頼んで終電のない友人と一緒に転がり込んだんだった。まあでもなんか初めてのような気がしていた。なぜだ?朝方4時に彼は酔っ払った彼女の電話に出ていた。俺も床で浅い眠りに就いていたが、眼を覚ました。が、寝たふりをしてこっそり電話の感じを聞いていた。将来の話などを今後しようと言うかんじの事も聞こえた。やさしい口調だった。よかったなあ、と思った。やさしい男女のつがいを見るのはよいことだ。やさしくあれ、人。やさしくない男女のつがいにはあからさまなる悪感情を吐き出していけ。
 プロデューサーミーティング二日目を映画館でライブビューイングした。まずは暗いことから書くか。
 アイドル、に限らずコンテンツは人間がやっているため、加齢や忘却などにより終わりへ向かう。死に向かって生まれてくるのと同じように。最後の挨拶で「今回は全員集まってやることが厳しかった。」ということを聞くのはつらいことだが、有限である人間がやっていることだからこそ価値があるのだろう。照明に照らされたアイドルと声優の境界が曖昧になったかの存在たちも、容姿がけっして瑞々しくないことを感じたのは鑑賞者すべてが感じたことだったろうに思う。しかし、それだけに価値があるのだ。いつかくる終わりに怖がりながら無限色のサイリウムを振り続けるのだ。刹那がある。
 刹那の輝き。アイドルと人間の境界線。釘宮理恵は本当に素晴らしい。あの声。まさに後世に伝えなければならない感動の声質だ。見事だった。「ヘンタイ!」という連呼に盛り上がる現象はさながらヒップホップのクラシックナンバーの高まりと同じだ。ヒップホップ視聴歴浅いのにこういう表現はいかがなものかと思うが、それ以上に適した比喩がない。釘宮理恵は、一声上げれば、それは釘宮理恵以外の何者でもないのだが、それでもキャラクターの片影をまざまざと見せ付けられることになる。本当にすごい。シンデレラガールズにおいて松嵜麗/諸星きらりや、早見沙織/高垣楓にも、声優である彼女に投影されているかのようなアイドルたちの幻影にも驚かされたものだった。が、釘宮理恵とは水瀬伊織以外にも数々の激しい輝きを放つヒロインたちの幻影を色濃く持つ人物なのに、ああも一挙手一投足にアイドルの、いや、アイドルを超越した輝きを見ることになるとは。いやはや。驚異であり、奇跡だ。765アイドルのライブを鑑賞する事は初めての体験だったが、凄まじい体験をした。えげつない。
 765とはクラシックだが、クラシックにしか見出せない他にない類を見ないまったく新鮮な光を見出す点で、本当に価値があるのだ。そりゃシンデレラの方が多少深く広く知っているから、感情の高まりにおいて自分はシンデレラのほうが勝るだろう。しかし、765アイドルとは10年を越えて残り続ける奇跡の軌跡なのだ。その体験は765にしかない、存在価値。
 茅原実里が元気そうで本当によかった。自分の年代は彼女に本当にお世話になった。とんと姿を拝むことができていなくて、今回玲音として歌とダンスをさすがのクォリティで見せてくれて、本当に良かった。
 765メンバーにも表立たない軋轢があり、表舞台から綺麗に立ち去りたいのだという想いを持つメンバーもいるのかもしれない。しかし、人は朽ち果てて行こうとも想いの炎は形を変えて燃え続ける。サクラ大戦の話とかも今回のプロデューサーミーティングの感想で散見された。綺麗に終わるのもいいが、時を経てともり続ける炎をも見てみたいのだ。
 すげえ。ライブの感想って文章にするとめっちゃ盛り上がってる文章書ける。素面では書けない。ブログ初めてよかったですね。