毎日かく整然とかくうそをつかない

2017.10.05 『木村夏樹の生活』を書いて

 コスプレ写真集を手にとって読んだはずなのにめちゃくちゃかっこよくて最終的に短編小説を書いた。
 生活をテーマにした写真集だったので木村夏樹の生活を書いた。
 アイラインが安定しない。キャラとの距離感はある程度操作できても、映像視点の誘導ができない。今回は一人称に引っ張られてズームアップ視点があちらこちらに飛ぶような感じになった。生活を描写するにおいて、小物にクローズアップして心情に寄り添いすぎるのは、生活を描写するには向いていない。

「生活」/「たりさん」の小説 [pixiv]

 

2016.2.8.定番とは

 毎日書けっつってんだろ。毎回毎回布団に入った時点で「日記書いてない」って思い出すし。どこかしらで「あ、これ日記に書こう」って思ったこともメシ食ったら凄い勢いで忘れていく。
 なのでファッションについて書く。覚えているうちに。生活工芸プロジェクトの「人と物」そして三國万里子「うれしいセーター」を読んで思ったことだ。生活工芸プロジェクトについてはググったくらいでは調べてもよくわからんかったのでなんとも言いようがないが、三國万里子は「気仙沼ニッティング」の人らしく、ほぼ日界隈の人間らしい。ナチュラル志向についてバカにしつつ物は良いので買ってるみたいなところがあるので、こういう本はバカにしつつ楽しんで読んでいる。もうそろそろ廃れそうな概念なのでいいことだが、「定番」というラベルがファッションとして存在している。本来定番というのはファッションとは対を成す意味を持っていると認識している。買い替えを必要とせず、永く楽しめるものとして「定番」というラベル貼りを商品にするのだ。たしかに本を読んでいると40~50年使い続けている、なんて言が書かれていることもあるのでそれはたしかに本来の意味からしても「定番」といって差し支えはない。しかし、本を読んで、ネットで調べて、たまに店に通い、安くで手に入れようと苦心しながら定番商品を探し続けていると、当然ながら、膨大な数の「定番商品」が知識としてストックされていく。物を多く持たなくていいという利便性を持つ「定番」であるのに、「定番」を知れば知るほどより多くの「定番」へと物欲の食指が向いては向いていく。これはいかに。こうも膨大な種類の「定番」が欲しいとなると、「定番」の持つ「脱ファッション」という魅力がないに等しいではないか。むしろ数々の「定番」というラベルで構築された「ファッション」そのものではないかという気さえしてくる。魔王を倒そうとダンジョンを攻略していたが、攻略していたダンジョンが魔王の腹の中だったかのような感覚である。少し違うが。おそらく「定番」という概念は収集してはいけないものだったらしい。しかし「定番」とは歴史や知識に裏打ちされて「定番」と呼ばれているのだから、情報を収集し、サーチアンドデストロイになるのは必定なのではないのか。そう、これは愚痴である。要は「自分は結局ファッションから抜け出せないではないか!」という陶酔じみた悲痛な叫びなのだ。

2017.2.4.過眠

 昨日日記書いてない気がする。書いてないね。
 働き始めてから15時間寝てしまう人がいたりとかして、安心感がある。自分は高校くらいからずっと15時間くらい寝てしまう感じがある。今日だって明日6時起きなのにもう2時だし、睡眠の悩みからは逃れられない。逃れて行きたい。
 同じ組織に属している友人が元気そうになっていてよかった。とはいえ職場環境は最悪らしい。現在よりも職場環境が悪かったソフトバンクとは。しっかりしてくれ。パラパラチャーハンを作ろうと試みたが、調理環境が悪くて上手くいかず。再挑戦したい。調理環境が悪くても上手いこと作って行きたい。
 ペン習字やってねえな。やんねえのか?やれ。15時間とか寝るとやっぱ思考がこう、ローギアなんだよな。何も回転しない。やれ。同じ館の人間が任命換え受かってたので話を聴取しなければならないが、どういう策で行くか?
 今日はずっと声優のラジオ聞いてた。本当に良い。脳に良い。ある種禅ある。聞いていきましょう。

2017.2.2.劣等感について

 つねに誰かが自分を苛むことを想定して生きているしそれが安心する気がしてやめられないでいる。
 期待されるよりも疎まれている方が現在地からは回復に向かうだけだから安心するのだろう。陽気な夏に向かう春よりも厳しい冬に向かう秋のほうが好きだ。
 しかしそれは不健康なのではないかと思う。自己嫌悪だの予防線を張るだのし続けているといつか取り返しのつかないゆがみになってしまうんじゃないか。
 かといって他の生き方を考える気も起きない、楽だから。

2017.2.1.

 さっそく一日サボってしまった。ブログの才能がない。
 昨日はアニ雑団のアーカイブシンデレラガールズのリリイベを見ていたら朝が近づいてきたので布団に緊急避難した。「女性声優のラジオねぇ~トークがつまらなくて聞いてられないよ」とのたまっていた数年前の自分の両眼に指を突っ込みたい。真面目に向き合え。
 ライブを見ると仕事のやる気が出るのか、はたまた自己暗示なのかはわからん。まあハレとケというやつなのだろう。小林銅蟲さん漫画で読んだくらいで詳しくは知らないが。アイドルのライブと仕事というものがハレとケで互助しているのだとしたらけっこう重要な話なのでは?なぜならその2つは今のところ自分の全てだ。
 ボールペン習字をやっていない。睡眠をきっちり同じペースで摂ることに重きを置きすぎている。あと飯を食いすぎている。

2017.1.30.閉まらないで大阪COUTUME

 クチュームのコーヒー三ヶ月以上飲まないで終わってしまった。そんな。。。。。。
 とりあえずペン習字の本を買った。迷った末に一番売れているという本を買った。出版社で選んでもよかったが、インターネットの信頼できる哲学の人がアマゾンのレビューを有効な意見として適度に活用しているのを見てから、「一番売れてる」とか「人気沸騰」とかいう言を全く無視するというのはそれはそれでいかがなものだろうかと考えるようになった。ペン習字とりあえずやりましょう。日ペン3万はキツい。。。。。
 公務員試験は教養の部分が必要であるらしい。問題集と教科書を買って総額1万。通信は8万ってすごいな就職するのにも多量の金がかかる。図書館課程の勉強はどうしようか。そういえばあまり考えていなかった。情報検索資格でいいのだろうか。
 とはいえ、時々考えるのがこのままの低賃金で本当にいいのだろうかということだ。これまでの生き様に即していることに納得がいき、その悩みは消え去るのだが、不安に思わないことはないし、時を経るごとにこの低賃金への不満は募るのだろう。やがて「若いときもっと頑張っていればよかった」などと思うのだろう。それに対処できるよう、仕事以外の部分も本意気入れなければならんのだろう。
 とりあえず同じ組織に属している友人に正規試験の話を聞こう。釘宮理恵さんはマジでマブ。

2017.1.29 釘宮理恵さん

 昨日のブログは友人の家でケータイから書いた。彼は彼女と複数年同棲していて、2人で住む家に泊まるのは初めて、だと思ったがちがった。酒に酔って彼の彼女に頼んで終電のない友人と一緒に転がり込んだんだった。まあでもなんか初めてのような気がしていた。なぜだ?朝方4時に彼は酔っ払った彼女の電話に出ていた。俺も床で浅い眠りに就いていたが、眼を覚ました。が、寝たふりをしてこっそり電話の感じを聞いていた。将来の話などを今後しようと言うかんじの事も聞こえた。やさしい口調だった。よかったなあ、と思った。やさしい男女のつがいを見るのはよいことだ。やさしくあれ、人。やさしくない男女のつがいにはあからさまなる悪感情を吐き出していけ。
 プロデューサーミーティング二日目を映画館でライブビューイングした。まずは暗いことから書くか。
 アイドル、に限らずコンテンツは人間がやっているため、加齢や忘却などにより終わりへ向かう。死に向かって生まれてくるのと同じように。最後の挨拶で「今回は全員集まってやることが厳しかった。」ということを聞くのはつらいことだが、有限である人間がやっていることだからこそ価値があるのだろう。照明に照らされたアイドルと声優の境界が曖昧になったかの存在たちも、容姿がけっして瑞々しくないことを感じたのは鑑賞者すべてが感じたことだったろうに思う。しかし、それだけに価値があるのだ。いつかくる終わりに怖がりながら無限色のサイリウムを振り続けるのだ。刹那がある。
 刹那の輝き。アイドルと人間の境界線。釘宮理恵は本当に素晴らしい。あの声。まさに後世に伝えなければならない感動の声質だ。見事だった。「ヘンタイ!」という連呼に盛り上がる現象はさながらヒップホップのクラシックナンバーの高まりと同じだ。ヒップホップ視聴歴浅いのにこういう表現はいかがなものかと思うが、それ以上に適した比喩がない。釘宮理恵は、一声上げれば、それは釘宮理恵以外の何者でもないのだが、それでもキャラクターの片影をまざまざと見せ付けられることになる。本当にすごい。シンデレラガールズにおいて松嵜麗/諸星きらりや、早見沙織/高垣楓にも、声優である彼女に投影されているかのようなアイドルたちの幻影にも驚かされたものだった。が、釘宮理恵とは水瀬伊織以外にも数々の激しい輝きを放つヒロインたちの幻影を色濃く持つ人物なのに、ああも一挙手一投足にアイドルの、いや、アイドルを超越した輝きを見ることになるとは。いやはや。驚異であり、奇跡だ。765アイドルのライブを鑑賞する事は初めての体験だったが、凄まじい体験をした。えげつない。
 765とはクラシックだが、クラシックにしか見出せない他にない類を見ないまったく新鮮な光を見出す点で、本当に価値があるのだ。そりゃシンデレラの方が多少深く広く知っているから、感情の高まりにおいて自分はシンデレラのほうが勝るだろう。しかし、765アイドルとは10年を越えて残り続ける奇跡の軌跡なのだ。その体験は765にしかない、存在価値。
 茅原実里が元気そうで本当によかった。自分の年代は彼女に本当にお世話になった。とんと姿を拝むことができていなくて、今回玲音として歌とダンスをさすがのクォリティで見せてくれて、本当に良かった。
 765メンバーにも表立たない軋轢があり、表舞台から綺麗に立ち去りたいのだという想いを持つメンバーもいるのかもしれない。しかし、人は朽ち果てて行こうとも想いの炎は形を変えて燃え続ける。サクラ大戦の話とかも今回のプロデューサーミーティングの感想で散見された。綺麗に終わるのもいいが、時を経てともり続ける炎をも見てみたいのだ。
 すげえ。ライブの感想って文章にするとめっちゃ盛り上がってる文章書ける。素面では書けない。ブログ初めてよかったですね。